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インド仏跡巡礼4


王舎城から岩山沿いの道を抜けてブッダガヤーへ。
王舎城(ラージャグリハ・現在のラージギル)はマガダ国の首都。マガダ国は西のコーサラ国とともに16国の一つであった。マガダ国はアジャータサットゥ(阿闍世王・あじゃせおう)によって、コーサラ国を滅ぼしヴェーサリーを支配下におき後のマウリヤ朝の礎を築く強国となっていく。5つの山に囲まれた天然要塞であり、門を閉じたら他国は容易には攻めることができなかったに違いない。
アジャータサットゥの子の代に首都を王舎城から北方のパートナに移動したためか、今は昔の繁栄を思わせるようなところではなく、仏教において大切な場所、霊鷲山(りょうじゅせん・説法地)、竹林精舎(雨安居の場所)、七葉窟(第一結集)があり多くの巡礼者が集う。ただ、現在観光地化が進み、竹林精舎は聖地としては残念な形での公園として整備されている。
ゴータマはカピラバストゥから城を抜け出し南東に向かい、まず目指したのは王舎城であった。430km程の道のりである。道中、山や丘はなく、淡々とした平らかな田園風景が続き、王舎城付近から突然山岳地帯が現れる。ごつごつとした岩石が重なり合うような山々に、当時の有名な仙人であるアーラーラ・カーラーマ、ウッダカ・ラーマプッタが住んでいる。他にも数多くの仙人修行者がいたのだろう。ゴータマは初めに修行の地として王舎城の山を選んだ。
そこで当時のマガダ国王であるビンビサーラ王に出会う。
ビンビサーラ王は、西のコーサラ国に従属するシャカ族の後継者に対して、軍隊を提供しようと申し出る。シャカ族と同盟関係にあればコーサラ国と対峙するにあたり優位に立てる。
ゴータマはその申し出を断り、2人の仙人の教えからも離れ、王舎城から50キロほど西にあるガヤーを目指す。
ゴータマが出家した理由に四門出遊が有名だが、そこに至る背景の一つとして、シャカ族がコーサラ国とマガダ国という2つの強国に挟まれ、存亡の危うさを感じていたこともあるのだろう。
ゴータマはガヤーにあるウルヴェーラーの林で5人の比丘とともに6年間の苦行し、苦行によって善き生き方をすることは出来ないと判断し、尼連禅河で沐浴して身体を清め、村の娘スジャータから供養された乳粥によって痩せ細った身体を癒し、坐禅をする。
日本で語られる仏典では、供養を受けてそのまま菩提樹の木陰にて坐禅をしてさとりをひらくと語られる。しかし、実際に来てみるとブッダガヤー東の郊外、徒歩30分ほどのところに山があり、苦行から離れたゴータマはまずそこでさとりをひらこうとしたという。そこではさとりをひらくことは叶わず、山を下りて再びウルヴェーラーの方に歩み、尼連禅河を越えたところにある菩提樹にてさとりをひらいた。
その山を前正覚山といい、現在はチベット仏教寺院によって護られ、小さな石窟内で修行したゴータマの影を偲ぶことができる。
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