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一周忌はなぜ「めでたい」?

一周忌のことを別名「小祥忌(しょうじょうき)」ともいいます。

三回忌は「大祥忌(だいじょうき)」。

お坊さんの世界でも、そのように言う、というだけでなぜそのように言うのかまでは教えられない。

亡くなって一年でなぜ「すこしめでたい」のか。
亡くなって二年でなぜ「大いにめでたい」のか。

胸に温めて法事をつとめていて、ふと感じるところがありました。

大切な人が亡くなって、一年経って、
家族親戚がお互いに支え合って一日一日どうにか過ごし、
今日という日を迎えることができた。
そのことが「めでたい」のではないか、と。

なんでもなく当たり前のように目の前の家族がお箸を持ち、
ご飯を食べ、話している、
ことがなんでないことではないように感じる。

亡き人の忌日に立ち止まり、手を合わせるということは、
そのような、当たり前のことが当たり前ではないということに、
立ち返る、時間と場所を共にすることなのでしょう。

いずれはこの中の誰かが次に旅だたなくてはいけない。

そしてそれが年齢順ではないということは毎日のニュースが教えてくれるところです。

今日も一日心穏やかに過ごせますように。

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