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ちいさなお経

おとといの朝、雨降りの本堂の濡縁を拭こうと思って雑巾をもって端に行くと、うずくまった茶色いものがある。

(死んだすずめ)

と思ってじっと目をこらすと、
うっすら目をあけて、
ひん、ひん、
と力なく鳴いている。

上を見るとすずめの巣があるらしく、
おそらくはこのすずめの兄妹たちがおり、
親を待つ声がにぎやかだ。

(巣からあやまって落ちた)

人間が手を触れると親鳥が近づかなくなる、
と聞いていたので、
なすすべなく、そのままにして濡縁を拭いていった。

それでも胸にひっかかるものがあり、
どうにかしてあげたい気持ちがあり、
そのまま死を迎えさせるのもかわいそうに思う。

土砂降りの日にお参り先でもらった、
きれいな布があったのを思い出し、
取りに戻ってそっとかけてあげた。

(もって今日のいのち)

そう思って翌日また雑巾を持っていくと、
少し場所を変えて、昨日よりは大きく、
でも小さな声で鳴いている。

親鳥が見えないところで世話をしているのかもしれない。

今朝また行ってみると、
また場所を移動して、だんだんと、ちゅんちゅんという鳴き声で、
私を見るとすっと欄干の下に隠れるくらい動けるようになっている。

飛ぶことはできず、
足も怪我をしているようだから、
他のすずめのような生き方はできないけれど、
それでもそのすずめを見捨てないすずめたちがおり、
そしてそのような身体だけれど懸命に生きようとする姿がある。

朝のおつとめで読経するものも経だが、
この小さなすずめの鳴き声もまた経として、
胸にしみこんでいく朝でした。

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