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布施というは、むさぼらない

お寺で毎月無料で食品を配布する活動をしている「地域食堂まんまる」にはいろんな方が手伝いに来られています。

高校生や中学生、小さな子どももいれば、
郵便局につとめる人もいるし、
退職された人、
先生、それこそ、受け取りにくる方も配っていたりします。

そして実際に配布したり配る方だけではなく、
お米を作っている農家さんはお米を、
野菜を作っている農家さんはお野菜を分けてくださいます。

さいきんは、
グラフィックデザイナーの方が、
「ロゴやデザインをできますよ」
と声をかけてくださったり、
就労支援のお仕事をしている方が、
「さつまいも畑を作りましょうよ」
とイベントを企画してくださったり、
調理師学校の先生が調理を担当してくださったりする。

もちよるものは、お金ばかりでなく、
自分のできること、それも無理なく、
見返りの心なく。
まさにこれが、「布施」という菩薩行なのだと実感しています。

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布施(ふせ)といふは、
不貪(ふとん)なり。
不貪といふは、
むさぼらざるなり。
むさぼらずといふは、
よのなかにいふ
へつらはざるなり。
(道元禅師『正法眼蔵』菩提薩埵四摂法の巻より)

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布施とは不貪、
不貪とは、むさぼらないこと。
むさぼらないこととは、
世にいう、へつらわないということ。
この人にどれだけ投資すれば、
どれだけのリターンがあり、
この人には投資してもリスクしかないから、
声もかけない、
そのような生き方とは180度違う生き方が、
布施という菩薩行です。

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舟をおき、橋をわたすも、
布施の檀度(だんど)なり。
もしよく布施を学するときは、
受身捨身ともにこれ布施なり、
治生産業(ちしょうさんぎょう)
もとより布施にあらざることなし。
はなを風にまかせ、
鳥をときにまかするも、
布施の功業なるべし。

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対岸に渡る人のために、
岸に舟をつないでおいたり、
橋をかけてあげるというようなことも布施の行です。
もしより深く布施ということがわかっていたら、
この世に生を受け死にゆく、
生死もまた布施であるし、
政治も産業もみな布施でないものはなにもない。
ありとあらゆることが布施であるから、
人間の思いはからいの及ぶところでない、
花を風にまかせ、
鳥を時にまかせるということも、
布施という菩薩行なのです。

今日も一日心穏やかに過ごせますように。

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