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本堂の濡れ縁を拭く。

本堂の濡れ縁を拭く。
半分外である場所ですから、
すぐ汚れるし軒先の雀の巣からは毎日落ちてくる物がある。
そもそも範囲も広いし、
腰を屈めて拭く姿勢は、不惑のわたしにはなかなかきつい。

(綺麗になってる…気がする)
(意味あるのか)
(でも気持ちいいな)
(にしても大変だ)
(息も上がる)
(手がだるい)
(綺麗になったかな…)

ただ拭く、だけなのに、さまざまな思いがぼこぼこと湧いてくる。

思い出すのは「磨塼(ません)」という昔の禅僧のお話です。

塼とは瓦のこと。

坐禅をしているお坊さんに、お師匠が
「坐禅して何か意図でもあるのか」と尋ねます。
「仏となること」と答えると、
お師匠は落ちていた壊れた瓦を手に取り
石に当てて磨きはじめました。

「何をしているのです」と弟子が尋ねるとお師匠は、
「瓦を磨いて鏡にしようとしている」
「瓦を磨いても鏡にはならないのでは?」とさらに弟子が尋ねると、
「坐禅をして何かホトケになることはできるのかな」
「では何が正解なのですか」
(『景徳伝灯録』より)

磨いている姿勢、
磨くということそのもの、
そこに私の全人生がかかっている、
そのように受け取って参ります。

今日も一日心穏やかに過ごせますように。

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