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時間をかけるということも供養

「葬儀は一日で」という方が増えてきたように感じます。
「時間をかけるということも供養ですよ。
時間をかけるということくらいしか、
してあげることはないのでは」
そういいながらも、ご家族の事情ですから、
手早く葬儀を済ませるにしても、
せめてお通夜だけでも前の日に、と思うと、
亡くなってその日にもうお通夜、
ということもあります。
そうなると頭もきちっと剃ることもできないまま、
あわただしいままに葬儀が始まり、
あっという間に終わってしまう。
以前ネパールを旅行した際、川のほとりで火葬している家族を見ました。
2週間ほどかけて葬儀をするということでした。
現代の日本で2週間も葬儀することは不可能でしょうが、
なぜこんなにも「時短」なのでしょうか。
いのちのもっとも深い、大切な時を
なぜどっしりと腰をすえて過ごす事ができないのでしょうか。
1円の価値が昔と今ではまったく違うように、
1分の価値も昔と今ではまったく違うのでしょう。
でも、人生の物理的な時間が今よりも圧倒的に短かった昔の人の方が、
豊かに見えてしまうのはなぜでしょうか。
今の人の方が、時間を効率的に「使って」いるけれど、
昔の人ほど、上手に「過ごす」ことはできていない。
もっと広大で、私たちが考えるよりも長い時間に身をゆだねる。
そういう場所がお寺であり、
そういう営みが宗教であるのでしょう。
今日も一日心穏やかに過ごせますように。

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