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ことばのぬくもり

下の娘は童謡が大好きで、寝る前に歌絵本をせがまれます。
歌っていて思うのは、作者不明の歌のこと。
誰かが作ったものかもしれないし、誰かが口づさんでいたものが自然にひろがり、歌としてまとまっていったのかもしれない。
いずれにせよ、いく人も幾人もの人たちが、歌い、歌を聴いて育った人がまた誰かに歌ってあげて、そういうふうにたくさんの人たちの歌う声が、聞き慣れた童謡の裏側にはある。
私、が歌っているけれど、たくさんの声とともに歌っている。
この感覚は、お経をお唱えしているときにも、同じように感じます。
「私の身体を通して、お経が流れている」
まるで、スピーカーのように。
私、がお唱えしている、のではなく、私を通じて、お経を唱え伝えてきた人人が一緒にお唱えしている。
霊媒とかそういう話ではなく、伝える、とか、伝わる、というのはそういうことなのでしょう。
お経にはぬくもりがある。
童謡もまた、歌い繋がれているから、ぬくもりがある。
そう思えば、ふだん何気なく使っていることば、たとえば、ありがとう、とか、さよなら、とか、そういう一々のことばもまた、今までたくさんの人が、ありがとう、といろんな場面で、大切な人に伝え続けてきた言葉としても受け取れる。
そしてまた、いま私の口から放たれた、ありがとう、という言葉もまた、目の前の大切な人にばかりでなく、その向こうの知らない誰か、未来に住まう子どもたちの耳にも届いている。
もう、すでに。
今日も一日心穏やかに過ごせますように。
無益な戦争に血を流しているすべてのものたちに祈ります。

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