手は熱く足はなゆれど
われはこれ塔を建つるもの
滑り来し時間の軸の
をちこちに美(は)ゆくも成りて
燎々(りょうりょう)と暗をてらせる
その塔のすがたかしこし
むさぼりて厭(あ)かぬ渠(かれ)ゆゑ
いざここに一基をなさん
正しくて愛しきひとゆゑ
いざさらに一を加へん
宮沢賢治「(手は熱く足はなゆれど)」
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たとえ、手足の自由がきかなくなたとしても、
あるいは平常な思考を保てないような精神状態だったとしても、
私は塔を建てる者だ。
しずかに、しかも強い意志をもって、
賢治は宣言します。
人間として泥にまみれどうしようもないような生き方をしてしまう私だからこそ、今ここに塔を建てる。
仏のいのちとして一歩一歩あゆんでいく私だからこそ、今ここに塔を建てる。
そのように生きてきた私の生き方は、振り返って見れば、どちらが前かもわからないような暗闇を進んでくような、手探りの人生だったけれど、その塔は、塔を建てるという営みは、進むべき道をしずかに教え、また私という存在も、美しいいのちとして輝かせる。
塔とは?
塔を建てるとは?
生産性や効率さばかりを追求する生き方から離れた、
賢治の菩薩としての生き方がそこにあります。
今日も一日心穏やかに過ごせますように。
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昭和3年8月、賢治肺炎病臥中の詩群の一つ。ノートに鉛筆で書き付けた草稿のようなもののため、タイトルは編集者が仮につけたものですが、死を真横に感じるような詩篇です。この5年後、昭和8年(1933年)9月21日に賢治は亡くなりました。
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