明日から一週間、曹洞宗では臘八接心(ろうはつせっしん)といって、坐禅をひたすらしつづける、そういう行持が修められます。
ただ、広徳寺のような地域に開かれた一般寺院では、このような修行はされず、ふだん通りの坐禅が行じられます。
この臘八接心(ろうはつせっしん)。
なぜ一週間坐禅し続けるのでしょう。
それはお釈迦さまのおさとりにちなんでのことです。
出家され、6年間の苦行から離れ、菩提樹の下で一週間坐禅をし続け、八日目の朝、明けの明星をご覧になって、「縁起」のおさとりをひらかれました。
お釈迦さまにならって、その行を追体験する。
足を組み続けると聞くと、苦行と変わらないじゃないか、と思うかもしれませんが、苦行ではなく、お釈迦さまの足跡を追従する修行のひとつです。
しかし、からだが痛むのは事実。
私も臘八接心を経験するときの足腰、背中の痛みを思い出します。
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今月の「禅の友」(曹洞宗宗務庁発行, 2021年12月号)に、お釈迦さまの成道(じょうどう)についての文章(古山健一先生)がありました。
そこには人間としてのお釈迦さまの姿が語られていました。
一般的な伝記にもなく、私も知らなかったのですが、お釈迦さまは「背痛」、ひどく背中を病んでいたそうです。
原始仏典(『長部』「等誦経」)には、説法していたお釈迦さまが突然、
「私の背中は病んでいます」と言って説法を中断され、弟子に続きをまかせて横になった。
そういう記述があるそうです。
これは6年間の苦行の後遺症のようで、頻繁に痛みがあったので弟子たちも心得ていたそうです。
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神格化してしまうと覆い隠されてしまう、お釈迦さまの背中の痛み。
お釈迦さまも私たちと同じ人間であったという事実がそこにあります。
お釈迦さまも大変だったのでしょうが、なんだか親しみを感じるエピソードです。