たくさんの方のお陰をもってお寺の山門が完成しました。
開創三百周年記念事業の一環として三百歳を迎える広徳寺にふさわしい伽藍が誕生しました。
思えばこの地に、三百年前にはお寺はなく、
それが少しずつ少しずつ人々の思いが交差して、
徐々に伽藍が整えられてきました。
山門はただ石が敷かれ木が組まれたものではなく、
その後ろにはたくさんの人の、見えない息づかいがあります。
山門を前にじっとたたずんでいると、
そういう息づかいが聞こえてくるようです。
今は亡き歴代の住職たち、広徳寺を護ってきたお坊さんたちの読経の声。
50年前に境内で野球をしていた小学生の歓声。
100年前に子どもを亡くしたお母さんの思い。
150年前にほうきを手に掃除をしていた方の息づかい。
200年前にお寺で食事をつくりお参りの方にふるまっていた婦人方の笑い声。
300年前にお堂を立てようと土を掘った男の人の汗。
さまざまな人の様々な思いが紡がれて今があり、
山門というかたちになったのだと思います。
山門を前にしたときに人間が思わず、顔を上げ、視線を高くするのは、
いわば、仰ぎ見てしまうのは、
そういう人間たちの、仏としてのはたらきがあるのだろうと思うのです。