「山野草というのはおもしろいもので、
庭で育てていて、周りの雑草をきれいにとってしまっても育たない。
シラネアオイ、カキラン、クマガイソウ、
みんなそうです。
でもうちの家内は雑草を全部きれいにやっちゃうんです」
山野草をこよなく愛する90歳のおじいちゃんです。
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禅の言葉に、
至道無難 唯嫌揀択
(しどうぶなん ゆいけんけんじゃく)
という言葉があります。
達磨大師から数えて三代目の禅師さんで、僧璨(そうさん)禅師という方の言葉です。
わがいのちが仏のいのちとして運ばれていくのは難しくはない、
ただあれが好くてこれはだめと、
選り好みしないことです。
しかもかくのごとくなりといへども、
花は愛惜にちり、
草は棄嫌におふるのみなり
(道元禅師「現成公案」)
そうはいっても、
私たちは山野草の奥さんのように、
この草花はよくて他は余計なもの、という生き方をする。
選り好みするのがいけない、
というのではなく、
選り好みするところに、
人間の「思い通りにならない」苦しみが生まれてくる。
あれこれとジタバタ動く手を休め、
すっとただ座るところから一日をはじめます。
今日も一日心穏やかに過ごせますように。