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随処作主

「随処作主(ずいしょさしゅ)」という言葉がありますが、これは、「いのち、生命は今、私という人間としてある。私の人生は私以外に生きられない」ということ。
「人生最後まで、自分のことは自分でできるように」というのは誰しも願うところです。
でも、実際には年を重ねれば足腰は自由でなくなり、頭も昔のようにはならなくなっていく。
生活の中で、自分のことは自分でできなくなっていく。
あるいは、病で思うようにいかない。
そのようなとき、絶望感のまま生きる生き方と、そうでない生き方があります。
「随処作主(ずいしょさしゅ)」。
私の代わりに誰かにご飯を食べてもらうわけにはいかないし、
誰かにトイレに行ってもらうわけにもいかない。
私の息は私が吸って吐かないと。
でも、その私、とは。
私が私が、と思わなくても息は肺に入っていき、肺からまた息が吐き出される。
私が私が、と思わなくても血は巡り、唾液は流れる。
私のいのちはたくさんの働きによって有機的に成り立ち、その上で、「私が」生きている。
そこからは立ち現れてくるのは、広大ないのちの広がり、そこへの感謝です。
今日も一日心穏やかに過ごせますように。

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