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7月の午後ヨガでは

【時間を超えて、場所を超えてつながり合ういのち】
::7月の午後ヨガでは::
北海道ではない
蒸すような暑さ。
「なんだか少しタイっぽい」
そんな午後ヨガには、
お馴染みの方と、ちゃきちゃきの大学生が来てくれました。
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終わってコーヒーを飲みながらの、茶話会。
イケメン男子大学生から新鮮な質問が。
「坐禅は独りでするものですか、みんなでするものですか」
(深い質問!)
このような質問をされたことはありません。
が、時に触れ、
私自身の中で何度も問われる問いでした。
坐禅はみんなでするもの。
たとえ、独りであったとしても。
まず、
坐禅の初めには「隣位問訊(りんいもんじん)」
といって自分の坐る位置の両隣の人に合掌して挨拶をし、
「対座問訊(たいざもんじん)」といって
これから一緒に坐る人々に合掌して挨拶をします。
つまり、
坐るという行為は独りで行いますが、
それは他の人とともに行っている。
どうしても、
坐るとなると、「私が」坐っていると、
「私」が前に出がちです。
しかし、その「私」とは何か。
ふだん、私が私と思っている私。
おそらく、それはリアルから離れた
自分の都合いいように想像された私。
そこから離れ、
私の皮フ、輪郭、血液の流れをしり、
突き上げる頭のてっぺんの先の天井で覆われた堂宇をしり、
堂宇とともに呼吸している
いのちの鼓動をしる。
おそらく、
「私」が思っている以上に、
私のいのちは広大だ。
私が永平寺という修行道場で、
お慕いしたある老師に、
坐布に名前を書いてもらったんです。
その時に、
「いっしょに坐りましょう」
と言われたんですね。
修行道場では、
たくさんの修行僧とともに坐禅をしますが、
出てしまうと場合によっては独りで坐ることになる。
それでも、
この日本どこかで、いや世界で今、
私と同じように坐禅をしている人がいる。
お釈迦様もまた坐禅をされていて、
お釈迦様の教えを伝えたインドの、中国の、日本の、
たくさんのお坊さんもまた坐禅をしていて、
そしてまた、今、この道場でもいっしょに坐禅している人がいる。
時間を超えて、場所を超えてつながり合ういのち。
坐禅の正体とはこのようかと
手探りでまた坐禅する。
この他にも、
この大学生は
「坐禅は静かなところで行うものなのですか」
などと、深い質問ばかりをされていた。
また来てね!

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