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広徳寺のあゆみ

1736年

広徳寺は江戸時代からある曹洞宗のお寺です。
高龍寺十一世華重禅海大和尚(けじゅうぜんかい だいおしょう)によって、元文元年5月10日に創立されました。当時は観音様のお寺として、観音庵と称され地域から親しまれてきました。

広徳寺開山 華重禅海大和尚
広徳寺開山 華重禅海大和尚

1870年

明治3年3月26日に起こった有川村(ありかわむら)大火のために類焼しましたが、
当時観音庵をおまもりしていた上田順応(うえだじゅんおう)によってすぐに同年6月に再建されます。

1887年

明治20年7月23日、二世天縦英真(てんしょうえいしん)の代に、法地に昇格し、
曹洞宗から正式な寺院として認められました。明治22年5月23日、当時地域の網元であった
種田家を開基として、釈迦牟尼仏(お釈迦様)を本尊とし、広徳寺と公称されます。

1906年

明治39年10月、三世徳豊快玉(とくほうかいぎょく)の代に、
当時の福山町(現在の松前町)正行寺書院の半分の古材を購入し、本堂を再建しました。
間口12間半(約22.5m)奥行8間半(約15m)の大きさだったといいます。

3代目再建時のお寺
三世代再建時のお寺

1962年

建物の老朽化という問題を前にして、五世雲山松彦(うんざんしょうげん)の代に復興を志すも、着手に至らず急逝してしまいます。昭和37年8月、六世実参精之(じっさんせいし)が住職に就任してただちに、後任者としてその改築事業を促進、翌年より本堂庫裡の修理改築に着工します。檀信徒からの古材の寄付もあり、昭和39年7月に本堂修復、翌年9月に庫裡改築を完了しました。

本堂修復
本堂修復

1988年

昭和63年4月27日、七世参学元英(さんがくげんえい)が住職に就任します。もともとが古材であった寺院を古材で修復した本堂であったため、また80余年の風害によって、建物の傷みもはげしく、
平成8年3月25日より本堂庫裡を全面改築、平成13年(2001年)に完成し現在に至ります。

歴代住職

開山 華重禅海大和尚(高龍寺十一世)
二世 法地開闢天縦英真(近藤)
三世 徳豊快玉(小野塚)
四世 廬山松韻(鈴木)
五世 雲山松彦(鈴木)
六世 実参精之(高橋)
七世 参学元英(高橋)

寺名の由来

お寺の名前には「△寺」の前に「△山」という山号があります。
広徳寺は慈眼山(じげんざん)が山号となります。
「慈眼(じげん)」とは、「慈眼視衆生(じげんじしゅじょう)」という『法華経(ほっけきょう)』の
「観音経(かんのんぎょう)」に由来します。慈眼(じげん)とは「観音様」のこと。
もともと観音庵(かんのんあん)と呼ばれていたことにちなみます。
また、寺名の広徳とは「あまねく一切の功徳(くどく)」を意味し、
「具一切功徳 慈眼視衆生(ぐいっさいくどく じげんじしゅじょう)」
(一切の功徳をそなえ、慈しみの眼をもって衆生をみる)という「観音経(かんのんぎょう)」の
一節が慈眼山広徳寺の由来となっています。

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